夢に視つること
ゆめにみつること <前>
「
はどうした」
そう問うたのは、源博雅朝臣であった。武士である。
開け放たれた門扉からは、いつものように、ぼうぼうと生えた草花が見える。
いつものようにかけた声に、出てきたのは、いつもとは違った女子(おなご)であった。唐衣裳(からころも)を纏った、細面のきれいな女子である。
見たことがあるような気もするが、もしかしたら別の者であるかもしれない。この屋敷には式神が多くいて、誰が誰やら分からない。
「中に、おりまする。博雅さま、どうぞ、こちらへ」
しずしずと、頭を下げた。
縁に座した晴明は、見るとはなしに、庭を眺めていた。
初夏の草花が生い茂る庭である。
昼間の明るい日差しの中に、野山を切り抜いたような庭が整然と存在を主張する。
「まあ、あがれよ、博雅」
博雅が定位置に座る。女が奥へと消えていった。
「あれは式神か?」
「さあな」
「こら、晴明。教えてくれてもよいではないか」
「知りたいか」
「知りたい。あれは人ではないような気がしたぞ」
「では式神ということにしておこうか」
「ちぇ。なんだそれは」
博雅が口を尖らせたところで、奥から膳を持った女子が出てきた。先程の女子と同じ女人である。後ろに、
がもう一つ膳を持って続いている。
女人は博雅の前に、
は晴明の前に膳を置いて、杯に酒をそそぐ。
二人が酒を飲み始めると、女人は奥に消えた。
「どうした、
坊」
晴明の声に、博雅は女人の去っていった方を振り向く。
そこには
が、それでも控えめに座していた。
「おう、
。今日は出迎えに来ないので、御脳にでもなったかと思ったぞ」
「いえ…」
いつもは博雅の顔を見るなり明るい顔を見せる
である。
今日に限って、表情が冴えない。博雅の方を見ようともしない。
「どうした、
。何かあったのか?」
博雅が問う。
はちらと、何かを確認するように、晴明の方を盗み見た。
晴明は、
「申したいことがあるのなら、言いなさい」
と、いつもの調子で頷いた。
「晴明がおっては言いにくいようなことか?」
「いえ。そんなんじゃないんです!」
博雅の言に、
は大きく頭(かぶり)を振った。
しかし、言おうとする度に口をつぐむ。言い淀んで、なかなか先を言おうとしない。
随分迷ったように俯いて、沈黙した。
大したことではないんです、本当に、わたしの思い違いです。
何度も念を押すように言い、それから、微かに震える唇を開いた。
「博雅さま、明日この屋敷にはいらっしゃいますか?」
まだ俯いたまま、つぶやくようであった。
聞かれた内容は、驚くような内容でも何でもないものである。
些か拍子抜けしたように、博雅は、いや、と答える。
「明日か?明日は、来ぬ」
「どちらかに行く用事はありますか?」
あまりに真剣な顔で聞く。
何か思うところあってのことであろうと、晴明を見るが、晴明は済ました顔で、微笑をのせたような唇に酒を運ぶばかりである。
「明日は藤原実行(さねゆき)どのの屋敷にて、歌合せに呼ばれているが」
「!」
それを聞くと
は驚いたように、言葉につまる。
勢いあまって、博雅を仰ぎ見た。その瞳は、不安と恐怖がないまぜになったような、すがるような目であった。
「そ、れは、宵から始まったりは、しないでしょうか?」
妙なことを聞く。
いぶかしんで、そうだが、と頷くと、
は酷く焦ったように硬直した。
そして、がばっと、頭を下げた。
「お願いです、博雅さま!明日は、その歌合せには行かないでください!」
そう言って、さめざめと泣き出した。
2010/01/23