学校の大人やクラスメイト、果ては両親までもが、を邪魔者扱いした。
少なくとも、はそう感じていた。
昔はちゃんと友達も居て、学校もそれなりに楽しい所だったハズだった。
けれどそれも小学校2年生までで、母が再婚相手として“新しい父親”を連れてきてから、の生活は一変した。
最初は優しいと思った男は、母が居なくなると人が変わったようにに暴力を振るった。それは段々とエスカレートして行き、母の前でも暴力を振るわれるのが日常茶飯事になるのにあまり時間はかからなかった。
最初でこそ母はそれを止めてくれたけれども、への暴力をやめさせる事でその矛先が自分に向くことが分かると、次第にを助ける事をしなくなった。
それでいい、とは思った。
自分が酷いことをされている間は、母は無事だから。
だから、それでいいとは思うことにした。


けれど、が小学4年の夏休み、声が出なくなった。


今までもの事を十分に問題児として見ていた学校は、声が出なくなった事で益々を腫れ物のように扱った。
両親でさえも「いずれなんとかなる」と言って病院に連れて行かずに放置したどころか、まるで問題を持ってくる邪魔者だとでも言うようにを遠ざけたがった。
声が出なくなった頃から、は意図して家を避けるようになった。学校が終わってもすぐには家に帰らず、人目のない場所へと逃げるように姿を隠し、そこで余った時間の大半を過ごすようになった。
薄暗く狭いその通路は、人に会わなくても良くなって嬉しい反面、面白い事は何もなかった。
居場所の無い帰る場所の事を思いながらただ時間が過ぎるのを待つのは、思いの外苦痛だった。
けれど悪いことばかりではなかった。
は、そこで不思議な青年の出会うことが出来たのだから。

夜トは他の人間たちとは違った。

夜トはが汚い格好をしていても、こんな薄暗い裏路地に蹲っていても、声が出ないと分かっても、それでもを邪魔者扱いしなかった。
それどころか、「ご縁がありますように」と笑いかけてくれた。
たったそれだけのことが、には嬉しかった。
嬉しくて、仕方がなかったのだ。
はただ、普通の人のように過ごしたいだけだ。
普通の人のように、普通に毎日三食ごはんを食べて、何も心配せずにゆっくりと寝て、つまらないことで笑ったり、新しく発売されたお菓子を食べてみたりしたかった。

けれどそんなことは高望みだと分かっていた。

どんなに願っても手の届かない高嶺の花だと分かっていた。
そんな事は望まないから、せめて、せめて、誰かと一緒に居たいと思った。
誰でもいい、一人にならなければ誰でもいいから、だから誰かと一緒に居たい、と。
そうすれば、少しは自分だって普通の人に近づけるかもしれないから。

寂しく、ないから。

だから、自販機の下に落ちた小銭やコインロッカーの取り忘れた小銭を大事に貯めている財布の中身を、は惜しげも無く夜トへと差し出すのだ。
そうすると夜トは少なからず嬉しい顔をしてくれる。
何より、自分は一人にならなくて済むのだから。








03









、アイスを食いに行こう」

きょとん、とは目をしばたいた。
それは暑い日のことだった。
ビルとビルの間には、道路の上で熱された空気が流れてきて蒸し暑い。辛うじて風は流れているが、じっとしていても額からはじわりじわりと汗がにじみ出てくる。
それを見かねてか、夜トはアイスを食べに行こう、とそんな事を言い出した。
は訝った。
夜トがそんなことを言うのは始めてだったからだ。

「ほら、行くぞ」

夜トはの手を取って先を歩き出した。
そのことには目を丸くしながらも、嬉しさ半分、戸惑い半分で、とりあえず手を引かれるがままに夜トの後を付いて行った。
薄暗い路地から出ると、容赦なく照りつける太陽に目を細めた。
夜トはスイスイと人の間を抜けて歩いて行く。着いた先は、昔ながらの駄菓子屋兼軽食屋のような所だった。
何やら可愛い格好をした女の人に「ツケ」だなんだと言いながらも、夜トは二人分のアイスを無事にゲットしたようだった。

「ほら、

80円で買えるような、ごく普通のアイス。
お金を払おうとすると、その可愛い格好をしたお店の人は「夜トちゃんにツケとくから大丈夫よ」とウインクを送ってくれた。
夜トの知り合いだけあってこの人も優しい人だな、とは思った。
袋を開けて早速食べ始める夜トに倣って、も袋を開けて食べ始める。

「(アイスなんていつぶりだろう…。おいしい)」

は自然に笑顔になった。
アイスなんて、本当に久しぶりだったから。
最近はお菓子なんてほとんど食べられないし、食事ですらも満足に食べられていない。家に居てももちろんアイスなんて食べられないし、財布の中の小銭は夜トに使う分と、家でご飯を食べられなかった時に食事を買うのに必要だから、めったな事では使わないようにしている。
だから、アイスなんてにとってはご馳走以外のなにものでもなかった。
自然に笑顔になったをみて、夜トは得意げに笑った。

「うまいか?」

満面の笑みで夜トが聞くと、はほんの少しきょとんとした後に大きく首を縦に振った。

『とっても!』

音の無い声はそう言っていた。
気分がよくなった夜トはの空いている方の手を取って、じゃあ散歩をしようとアイスを食べながら近くの公園へと入って行った。
比較的大きな公園には、暑いながらも噴水で水遊びをしたり、売店でアイスを買い求めたりする人でそれなりに賑わっていた。

「(人、たくさん。楽しそう。いいなぁ)」

は上機嫌でアイスを食べていたけれど、その内自然と視線は自分の履きつぶした靴の先へと移っていった。
なんとなく、居心地が悪かったのだ。
自分がこの苦しい状況に居ることはどうしても覆せない仕方のないことで、そこから抜け出すことなどとうの昔に諦めていた。
けれど、こういう所に来ると嫌でもその現実を目の前に突きつけられるような気がしてしまうから。
それがなんだか、どうしようもなく歯がゆくて、自分がとんでもなく場違いな人間に思えてきて、とても居心地が悪かった。

「どうした、?」

下を向いてしまったを見て、夜トはそういえば以前が公園に行くのを嫌がっていたのを思い出して、少し慌てたようにに聞いた。
けれどは首をぶんぶんと振ると、夜トに向けてにっこり笑ってみせた。

『なんでもないよ』

そう言ったけれど、きっと夜トには何と言おうとしたか分からなかったかもしれない。
はそれからアイスを食べきってしまうと、今度はが夜トの手を引いて元の暗い路地へと足を早めた。
やはり嫌だったのだろう、と夜トは手を引くを見て思った。
なんでもないように、もしかしたら夜トを気遣って笑っていたのかもしれないけれども、本当はやはり、公園などには居たくなかったのだろう、と。

けれどは、その日とても饒舌だった。

しゃべれはしないけれど、その分、の周りの地面や壁が文字だらけになるのではないかと言うほど、壁や地面にたくさんの文字を書いた。
それは拙い質問文が多かったが、は珍しく夜トに自分の昔の事を少しだけ話した。
自分は昔聞いたわらべ歌が好きだという事。
新しい父親が来るまでは、その曲をよくお母さんと歌ったのだということ。
その時間がとても楽しかった事。
今はとてもつらいけれど、その時間の事を思い出すだけで少しだけ元気が出るので、まだまだ大丈夫だと思う、ということ。
夜トは珍しく興奮気味に話しをするを見ながら、熱心に耳を傾けていた。










2014/10/24

どんなに願っても 03