重く湿った空気の漂う牢屋で、は冷たい石の床に座って膝を抱き、顔をうずめていた。
事件の重要参考人と言われた。
それはそうだろう。
自身、我に返ってから目に飛び込んで来た光景に背筋が凍った。
怒りに駆られて自分がしでかした事に、気がついた時にはもう取り返しの付かない所まで来ていた。

両手両足の鉄の枷には不思議な力を使えないようにするための呪文が書かれているのだと、門番が言っていた。
別にもう力を使いたいとは思わなかったし、いっそ死んでしまいたいような気にもなった。けれど、そんな事をする必要もないだろう。
門番はこうも言っていた。

これだけの事をしでかしたのだから、良くて国外追放、悪くて死刑だ、と。








03









の感情が高ぶった事で近くの物が割れたり、何かで裂いたような傷が出来るといった小さな事象は、の周りでは昔から頻繁に起こっていた。
両親にも、そのまた両親にもそのような力の無かったの家系は、だけがこの不思議な“力”を持って生まれた。祖父母は忌み嫌っていたが、両親は戸惑いながらも受け入れてくれて、はなんとかこの力を“意識的に”使わないようにしていた。

力を最大限に開放したのは、今回で2度目だった。

一度は、自分の国で住んでいた家まで戦火が及んだ時。
その時は押し寄せてきた兵士を無我夢中で力を使ってなぎ倒し、と母親はその場を逃げおおせることが出来た。

けれど、今回は前とは随分と状況が違った。

何と呼べばいいかも分からないこの不思議な力を、は無意識の内に解き放った。怒りを切欠として起こった今回の大惨事は、世話になった店を全壊させてしまう程には酷い物だった。加えて、女将に手を出していた青年達6人を重症にして病院送りにした。これはもう“暴走”と言っていい。
先に手を出して来たのは向こうだが、どう見ても過剰防衛だろう。
どれほどの事情を加味してもらえるかは分からないが、少なくともは、もうこの国には居られなくなるだろうことは覚悟していた。
母を失いながらもやっとのことたどり着いた楽園と呼ばれるこの国で、折角得た安寧の居場所を、は自ら潰してしまったのだ。
もう涙すら出てこなかった。

は出された食事にも手を付けず、眠る事さえも出来ずに、底冷えする牢屋の中で座り込んでただ時間が過ぎるのを見つめていた。
国外追放でもいい。それだけの事をしたと、分かっている。
けれど、叶う事ならもう一度だけ、もう一度だけでも。

「(女将さんに、会いたい…)」

叶わぬ願いだと分かっていても、そう願わずにはおれなかった。








長いこと沈黙の中に居たの耳に足音が響いたのは、が牢に入れられてから二日目の朝の事だった。








膝に顔をうずめて眠ろうとしても一向に訪れない眠気にが眠る事を諦めていた時、朝日の細い筋のみが差し込む薄暗い牢屋に、その人は現れた。

「やあ、君がだね」

どこかで聞いた事のあるような声だった。
どこで聞いたのかが思い出そうとしている内に、その声の主は更に口を開く。

「君の処遇について決めるのに、少し話しを聞いてみたいんだが」

言われて、は凝り固まった全身の筋肉をぎこちなく動かして、顔をゆっくりと上げた。
途端、目に飛び込んできたのは紫色の長い髪、真っ白の衣服に綺羅びやかな装飾具たち。どう見たってこの場にはそぐわない人が、そこにさも当たり前のように立っていた。
目の前の男はシンドリア国王、シンドバッドその人だった。
どうりで聞いた事のある声のハズだ。一度だけ経験した謝肉宴(マハラガーン)での乾杯の音頭を取っていたのは、まさしく、この声だった。
は、シンドバッドの登場に驚きよりもむしろ、危機感を感じて冷や汗を流した。国王が出てくるほど、この事件は重要視されているということだと思ったから。
王の後ろには、八人将のジャーファルとヤムライハも付き従っていた。

「………あたしは、死刑ですか」
「唐突だな。まぁ死刑という事はないが、さすがにこれだけの事件を起こしたんだ。何もしないというわけにもいくまい。そのために、いくつか聞いてみたいと思ったのさ」

は胡乱な目で王を見つめ返す。
王様自らが、確かめねばならぬことがあるというのだろうか。
はこの国の法律や司法がどのように運用されているのかは全く知らないが、少なくとも王自らがこうやって当事者に会いに来るというのが普通では無いことぐらいは分かる。
晴れやかに笑う王の意図がどこにあるのか、には全く分からなかった。
国王なら、その言葉一つで事の行方を左右出来るのだろう。
これはきっと、そのための尋問なのだ。

「何、難しく考える必要はないさ。率直に、ありのままを話してくれればいい」
「………」
「君は今回の事以外に魔法を使った事はあるかな?」
「……まほう?」
「おや、魔法を知らないかい?君が使っていたあの力の事さ」
「……魔法」

聞き慣れない言葉を口の中で転がし、頭の中で反芻する。
魔法。
あの力には、しっかりした名前があるのだという事には少しの驚きを覚えた。

「……何回か、あると思います。多分」
「意図して使った事は?」

魔法というものに対して知識の無い国では、しばしば魔法使いは不気味な力を使う者として忌み嫌われてきた。当の魔法使いも、自分がそうだと理解していない場合も多く、そういった者達が魔法を使うのは無意識であることがほとんどだ。
シンドバッドはその事を聞いていた。

「……一度、あります」
「そうか」

ある、そう言い切ったに、シンドバッドはううむ、と少し唸ったあと、「では次だ」と元の微笑みを取り戻して口を開く。

「今回の事に関して、店の女将から指示はあったかい?」
「……どういうこと、ですか」
「女将が君に、魔法を使うように、もしくは何らかの方法で反撃するようにとの指示を出したかと言うことだ」
「…なんだよソレ…。女将さんが、そんな事言うはずないだろ…!」

途端に目と鋭く尖らせたに、おや、とシンドバッドは片眉をあげた。
取り押さえられた時も、牢屋に入ってからも、淡々とした受け答えをしたというは、女将の話しになると途端に攻撃的な目つきに変わった。

「あたしが、勝手に暴走したんだ…女将さんは関係ない…っ!」
「―――そうか、分かった。一応確認したかっただけなんだがな。気に触ったのならすまなかった」
「あ……、……。……いえ、すみません……」

我に返ったように一瞬ハッとしてから素直に謝ったに、シンドバッドは物珍しそうにふむ、と一つ頷いた。
のこの様子から、女将に対してはだいぶ信頼を寄せているようだと分かる。

「さて、。これだけの事を起こしたのだ、このままだと国外追放は免れないだろう。それは理解しているかい?」
「………、…はい。シンドリアの決定に、従います」
「おや、随分と素直じゃないか」
「……一時だけでも、この国はあたしを受け入れてくれたから。恩を仇で返せない……。例え死刑でも……受け入れ、ます」
「いい覚悟だ」

ニヤリ、とシンドバッドは自信ありげに笑った。
には、その笑みが何を意味するのか分からなかった。

「それでは、

はシンドバッドの口の動きを注意深く見ていた。
例え死刑でも、驚かず、怯えず、冷静に受け止めたいと思った。

「シンドリアで魔法を学ぶ気はないか?」
「―――…………?」

一瞬、思考が止まった。
どういう意味だか、理解出来なかった。
それはどう聞いたって、処罰やそういったものの類には聞こえなかったからだ。

「え………?」
「もちろん条件付きでだがな」
「―――」
「今回君は店の女将をかばって、無意識に、魔法を暴走させてしまったんだろう。店の全壊に青年6人の重傷者を出したのは見逃せないが、しかしまだ君は、子供だ」

なんでもない事のように、シンドバッドは言う。
は呆然とした。
この言いようではまるで、子供だから仕方ない、と言っているように聞こえてしまう。

「俺はね、。君には才能があると思っているんだ。魔法の才能がね。君は今回の事件に関して十分に反省しているように見えるし、これだけの才能を野放しにしておくのはとても惜しい。魔法の訓練を受けた事もないのだろう?」
「…ない、けど……。そんな、いいの?あたし、たくさん人を傷つけた」
「そうだな。青年たち以外にも、場を収めようとした兵士にも多数怪我人がいる」
「なら…」
「しかし、店の者や店の客には、一切怪我人は居なかった。これも無意識かもしれんが、君は青年達以外に対しては無害だったということだ」
「―――」
「しかし条件もあるぞ。訓練の時以外では、君は魔法を使ってはいけない。王宮から出てもいけないし、王宮内での行動にも制限を設けさせてもらう。そういう条件を全てのむというのなら、、君をここから出してあげよう」
「……それは…」
「ん?」
「それじゃあ、罰にもなんにもならないじゃないか…」
「罰して欲しいのかい?」
「そうじゃない、けど…。だって、これだけの事をしたって、さっき王さまも言ってたでしょ。それだけじゃ、なんかいけない気がするんだ」
「――そうか。君はいい子だね」
「…、そんなこと…」
「じゃあこういう考え方はどうだろう。君はまだ子供で、力の使い方が分からなかったんだ。だから間違いもする。その間違いを戒めるために、ここでは少々不自由な生活をしてもらうことになる。が、これからは沢山訓練を積んで、魔法を市民のために活かすことで迷惑を掛けた人達に対して償いをする」
「……それで、いいんですか」
「いいもなにも、そうして欲しいと他ならぬ俺が言っているんだがな。な、

は呆然と考えた。
これが願ってもみない申し出であることは確かだった。
この国にまだ居ることが出来て、しかもこの力の使い方を教えてくれるという。それに、提示された“条件”というのは、実の所にとって何の弊害にもなっていない。

自分は罰せられるべきなのではないだろうか。
こんなに大きな事件を起こして、沢山の人に怪我を負わせて。
けれどシンドバッド王は、それを償う機会をくれるという。

もし本当に心の底からシンドバッドが許してくれるというなら、そうしたいと思った。
けれど、不安要素もある。

「あたし……この力の使い方、分かりません。だから、いつ暴走するか分かりません」

それが自分でも怖い。
まだ、自分の中のこの力は未知数だ。どうなるかなんて、全く予想もつかない。

「訓練時以外は、君には魔法を使えないようにする腕輪をしてもらう。訓練時は優秀な魔導師を師匠に付けるから、万が一魔法が暴走してもなんとかなるだろう」
「……魔法が使えたとしても、それ以外にあたし、何にも役に立ちません」
「言ったろう。君はまだ、子供だ。これから覚えていけばいいのさ」
「……本当にいいんですか。あたしなんかが、この国に、居ても」
「もちろんだとも。居て欲しいと俺は思っているよ」

は俯いて少しの間考えて、それからゆっくりと立ちあがった。
数歩前に出て、少しだけ近くなったシンドバッドの顔を見上げる。
じっとその目を見つめた。全てを包み込んでくれるような、強く澄んだ、自信を持った瞳。
その目は、とても嘘を言っているようには見えなかった。
は始めて、この国が素晴らしいと言われる理由の一部を、知った気がした。

「……よろしくお願い…します…………」

はゆっくりと頭をさげた。

「ああ!」

嬉しそうに力強く応えるシンドバッドに、は零れそうになる涙を必死でつなぎとめて、歯をくいしばった。

「(この国に居ても……いいんだ…………)」

その事が、たまらなく嬉しかった。










2016/01/09

渇いた、大地 03