「はぁー楽しかったな」
「はい。とても楽しゅうございました」
陽はもうとっぷりと暮れ、辺りには既に夜の帳が下りている。
4人は町の至る所を半日中ずっと歩いて見て回り、この国の名産である食べ物や飲み物、土産物などを物色してまわった。
半日ではシンドリアの全てを見て回ることは出来なかったが、4人はシンドリアの町を大変満喫していた。
帰る間際に、せっかくだから飲んで帰ろうとアリババが言い出して、結局モルジアナとアラジンを先に帰して、
とアリババは二人、飲み屋へと足へ運んでいた。
いつもアリババが行くような大勢でワイワイ飲める居酒屋とは違い、比較的落ち着いた雰囲気の店のカウンターに、二人は並んで腰を落ち着けていた。
「そこで俺がムーさんの剣を受け止めて、アラジンの危機を救ったってわけよ!」
少し酒も入ってだいぶ饒舌になったアリババは、レームの闘技場で起こった事や、マグノシュタットで起こった事を楽しげに語っていた。
は適度に相槌を打ちながら、微笑ましい思いでそれを聞いている。
以前、まだ
が病床生活を余儀なくされていた時も、こうしてアリババが色んな事を語って聞かせてくれた事をなんとはなしに思い出して、
はまた小さく笑みをこぼした。
酒を飲むのは、もう随分と久しぶりだった。
目の前では、もう随分と飲んでいなかった酒の入った汗をかいたグラスが、時折“カラン”と氷の音を響かせている。
酒自体は嫌いではないし、そんなに弱いわけでもなく、むしろ
は酒に強い方だ。
体調を崩していた時はもちろん飲めなかったのだが、剣を振るえる程に元気になった最近でも飲まなかった。それ自体には、そんなに大した意味はないはずだが、なぜか酒を飲む気にはなれなかったのだ。
手の中で軽くグラスを揺らした後、淡い橙色をした酒を喉に流し込む。
この国独特のフルーツの香りとほんの少しの酸味がよく似合っていた。
「どした、
さん?」
物思いに耽るようにグラスを見つめていた
に気が付き、アリババは話しを中断させた。
が酒に酔ったのかとも思ったが、まだ二口目であるし、顔色も普段と全く変わらない。
「……いえ。ただ、こうして酒を飲み交わす日が来ようとは夢にも思っておりませんでしたので…嬉しくて」
「…そっか」
「すみません話の途中に。どうぞ、続きを」
「あ、ああ、うん…」
アリババは躊躇いながらも、また話を再会させた。
大変な事がたくさんあって、面白おかしく話している内容だって、本当は笑って話せるような内容ではないはずなのに。
それでもアリババは、なんでもない事のように自慢気に話してみせた。
「そうしたらそいつ、なんて言ったと思う?“気が付かなかった”ってよ!そりゃねぇよなーって話しでさ!」
「ふふ」
「おっかしーだろ―?」
「ええ、本当に…」
ゲラゲラと笑い転げるアリババの横で、
も本当に楽しそうに笑っていた。目からは涙が溢れる程に。
けれどその涙は、なかなか止まる気配を見せなかった。
「……あ、
さん…?」
「ふ、ふふ……申し訳ありません、……ふふ」
目の淵から溢れる涙を、
は笑いながら手で掬う。掬ってもすくっても落ちる涙に、アリババは完全に話を止めて笑みを引っ込めた。
は笑いながら、けれど泣いていた。
「おかしいですね。……涙が、止まらないんです…」
微笑んでいた口元もいつしか歯を食いしばって、こみ上げて来る何かを抑えようとするように口を引き結んだ。
は、だいぶ薄れた、けれどまだしっかりと火傷痕の残る左手を右手で包み込んで、口元に寄せた。
「すみません……」
「いや……」
ポタリぽたりと、涙がテーブルを濡らす。
アリババは
の方を見なかった。
も、アリババを見なかった。
「どうしてでしょう………楽しいのに…嬉しいのにっ……、涙が、とまらなくて………」
「……うん、いいよ。きっと、泣いた方がいいんだ」
す、と差し出された白いハンカチに、
は一瞬目を丸くしてから素直に受け取った。
「……ありがとうございます」
少し背を縮めて無言で涙を流していた
は、しばらくしてからやっとのこと涙を収めると、目元に残った最後の雫を拭った。
ふう、と長い息を吐いた後に、ゆっくりと口を開く。
「……わたくしは、本当に良かったと思います」
「うん?」
目の前のグラスを眺めながら、けれど
はどこかを見つめるような遠い目をした。
アリババは自分も目の前のグラスに時折口をつけながら、
が話す内容にただ黙って耳を傾ける。
「私はやはりまだ、どこかで……ルカス王子と酒を飲み交わせなかった事が少し心残りで……。だから、今まで酒を飲まずに来たのだと思うのです」
この国の王がそうだからか、あるいはこの国の名産にもなっているからか、この国の人々は酒が大好きだ。飲みにだって何度も誘われたけれど、なんとなく、酒を口にはしてこなかった。
なぜと聞かれてもよく分からない。
本当に理由なんて無いのだ。
けれど、今はなんとなく分かるような気もした。
「一緒に酒を飲み交わすのがアリババ様で……本当に良かったと思います。……あなたの従者になる人達は、幸せ者だ」
「…そんなこと」
「……ふふ」
はまた、控えめに笑った。
その目にはもう、涙は見えなかった。
それからしばらくの沈黙の後、
は背筋をのばして、どこか意を決したように口を開いた。
「わたくしは……近い内に、祖国へと訪れる事になりました」
「!!え、それって…!」
声は堅く、顔は自然と曇る。
祖国へと訪れる。
帰ると言えないのは、祖国とは言えど、既に名前が変わってしまった別の国であるからだ。
「今は何かと慌ただしい時期ですので、まだ詳細な日程は決まってはおりませんが。国交が断絶している今、使節団を送る事もままなりません。ですから、まずは偵察として、私が少数の兵を率いて参ります」
「……、大丈夫なのか」
「……一筋縄では行かないでしょう。王は私に話してくださいました。“組織”が関与している可能性を」
「!!」
組織、それは間違い無くアル・サーメンの事だろう。
その組織の話しを王が
にしたということは、望むと望まざるとに関わらず、
もこの戦いに巻き込まれる可能性が十分にあるということだ。
「そんな…」
「わたくしも、組織と戦うと誓いました。――あなたのように」
の強い瞳が、アリババの目を見据えていた。
マギに選ばれたというアリババ。
彼は“王の器”なのだと言う。
それが何を意味するのか
には分からなかった。
けれどこれから先、彼は多くの仲間と共に、“未来”のために戦うのだろう。
王からアリババについてそう聞かされた時、
はそれがストンと心に落ちるのを感じた。
彼がこれほどまでに“輝いて”見えるのは、きっとそのためなのだ、と。
「私はあなたに付いてゆく事は出来ない。けれど、目指しているものは、きっと同じだと思っております」
「――そうだな。俺もそうだと思うぜ」
アリババは
の強い瞳を見て、力強く頷いた。
がこれほどまでに強い人間だと、アリババは改めて気付かされた。
その強い眼光を宿した目は、いつかの弱々しい病弱な彼女とは別人だった。
それからどちらからともなく二人は目の前にグラスを掲げた。
それぞれの口元には小さな笑みが乗っている。
歩む道は違えど、それぞれが、同じものを見据えて歩いているのなら。
「
さんの健闘を祈って」
「アリババ様のご活躍を祈って」
「「乾杯」」
飲み干した果実酒は、口の中にほんのりと酸味を残して喉を通り過ぎていった。
二人はいつかの夜にそうしたように、静かに、けれどもいつかの夜には無かった暖かな笑みを交えながら、ゆっくりと夜を過ごした。
2014/06/07
終わり。ありがとうございました!