ノックの音に気がついた侍女が席を立つ。
の部屋の扉を開けた侍女は、立っていた人物を見ると恭しく礼をして、それからその男を部屋へと招き入れた。
「やあ、お加減はいかがかな」
入ってきたのはこの国の王、シンドバッドであった。その後ろにはジャーファルが付き従っている。
は沈みかけていた思考をなんとかつなぎとめ、ベッドから静かに2人を見返した。
02
「君が王宮を歩いていたと言うから、少しは話が出来ないかと思ってね。寄らせてもらった」
侍女が用意した椅子に座ると、シンドバッドはいつもの笑顔を称えた顔で言った。
数日前、ジャーファルと話をした時の事を言っているのだろう。
話というにはいささか一方的で、短いものではあったが、それでも今までほとんど口を開かなかった人間が自ら行動をしてみせたのだ、当然の反応だろう。
はまだ1日のほとんどをベッドの上で過ごしている。
今日も、ベッドに上半身だけ起こして、何をするでもなく過ごしていた。
は来訪者があった事で、ベッドから出て椅子に座ろうという素振りを見せたが、シンドバッドがそのままで良いというので、枕をクッション代わりにしてベッドに座り直した。
「君の名前はジャーファルから聞いている。が、キミの口から聞かせてもらえないかな。キミの名前を、教えて欲しい」
シンドバッドのキラキラした目が
を見る。
今の
には、片方の目でしかそれを見ることが出来ない。が、シンドバッドの目の輝きは
にはあまりにも眩しくて、思わず目を背けた。
答えたくないわけでは無かった。
ただ、
はこの世界の何もかもが無色に見えて、何もかもが
を拒絶して
をこの世界から追いだそうとしているように見えて、中々言葉を紡げなかった。
これは、絶望だ。
身体の中に巣食うとてつもなく巨大な絶望が、
の心を粉々に砕いてしまった。そうして、
を全てのことに対して無感動にさせていた。
けれど、それでも
は長い間考えて、やっとのこと小さな声で、
「
・
…と、申し、ます…」
言った。
「
。君の名前が聞けて嬉しいよ。俺はシンドバッド。一応この国で王をやってる」
「……はい、存じております」
「そうか。体調はどうだろうか?この前は自力で歩いていたと聞いたが、どこか痛む所は無いか?」
「……傷は、癒えました…まだ、火傷した皮膚が引きつって、時折不便ですが…」
「少しずつ動かした方がいいだろうな。気晴らしも兼ねて、王宮を散歩でもするといい。ご飯もちゃんと食べなさい」
「………はい」
「シン様」
「なんだ?ジャーファル」
「私からも、よろしいでしょうか」
シンドバッドの了承を得て、ジャーファルが数歩前に出る。
ジャーファルと目が合った
が、ジャーファルに向かって軽く目礼をした。
その事に内心で少し驚きつつも、ジャーファルはいつもの調子で口を開いた。
「先日お会いしましたね。ジャーファルと申します」
「………はい」
「いづれ貴女には、かの国で何があったのか伺いたいと思っています」
「おい、ジャーファル…」
唐突とも言えるジャーファルの言に、シンドバッドは少し眉根を寄せる。
「まだいいじゃないか。ゆっくり傷を癒してからでも」
「そうは言いましてもシン様、もう十分――」
「一気に、攻めて来たのです」
二人の会話に割って入ったのは、意外にも
だった。
二人は驚いて
を見返す。
はただ無感動に、自分の火傷痕に覆われた左手を見つめていた。
自分が言った事に対して本当になんとも思っていないかのように、表情一つ変わらない。
「休戦協定を結ぶ、前の日の事でした。布告も何も、無く」
「…なんだって?」
ジャーファルを止めようとしていたシンドバッドも、聞こえてきた内容に思わず聞き返していた。
それに答えるように、
は訥々と語りはじめた。
長きにわたる戦争で疲弊しきっていた両国は、和解の道を模索し始めていた。
血で血を洗ってきた争いの中で、和解の道を見つけるのは容易では無かった。お互いがお互いに、深い恨みを持ち、酷く憎しみ合っていた。それこそ、殺してしまいたい程に。
長い交渉の末、やっとのことで休戦協定を結ぶことが決まり、
の国には少なからず安堵感が生まれていた。
これで、平穏な時が戻ってくるのだと、誰もが心の底から安心していた。
その、前夜の事だった。
突然、首都のいたる所から火の手が上がった。
どこからかも分からない。
本当に、突然にして上がった火の手は、みるみる内に家屋を燃やしながら広がっていった。
炎に巻かれて死んだ人間も多く居た。
火の手に気付き燃える家屋から飛び出してきた街の人々も、火の無い方へと身一つで逃げ惑った。
街は混乱に陥っていた。皆が、とにかく混乱の中で逃げた。
けれど、それも恐らく罠だったに違いない。
民衆が逃げた先には、敵国の軍隊が待ち受けていた。武器を携えた軍隊は、逃げて来た無力の民衆を片っ端から殺していった。
時を同じくして、王宮にも敵国の軍隊が雪崩れ込んだ。
街の消火作業に多くの兵士が駆り出されていた中で、王宮は手薄の状態だった。
完全に不意を付かれた城に残った兵士たちはそれでも奮闘していたが、やがて圧倒的武力の前に無力にも散り散りになっていった。
近衛兵団の所属である
は、街には降りずに王宮内に留まった兵士の一人だった。
混戦状態の中で同僚を失い手傷を負いながら、それでも
は王の元へと向かおうとした。
「あっという間の出来事でした…わたしは、何としてでも主の元へ……王子をお助けせねば、と」
戦う内に火に飲まれ、焼け落ちてきた瓦礫の下敷きになって意識を失っていた。
自分が焼き死ぬ前に目が醒めたのは、本当に運が良かったとしか言いようが無い。
目が醒めた頃には、周りから敵の姿も、生きている人間の姿も消えていた。
あるのは、ただ、燃え落ちた城の一部だったもの、以前は同僚や上司だったもの、ありとあらゆる
の見知ったものが、変わり果てた姿で地に転がっていた。
「瓦礫の下から這い出して、王子の元へ…けれど、お部屋にもどこにも、王子は、おられませんでした…」
そうして、地獄絵図と化した王宮を彷徨い、王子を探した。
心の片隅では、王族一家が既に逃げて安全な場所に居ることを願っていたが、酷い胸騒ぎに掻き立てられるように
は足を動かし続けた。
幼少の頃より仕えた王子。
6つ年下の王子は今年やっと17になる所だった。
これであと1年すればお前と酒が飲みかわせるな、と楽しそうに話していたのが、妙に
の記憶に残っている。
幼少の頃は側仕えとして付き従っていたが、
の強い希望により、
が近衛兵団に入ってからも、ずっと王子の側で、王子を守ってきた。
末の王子。
兄、姉に比べて自分は何て情けないのか、そう弱音をこぼしながらも、いつかは兄を立派に支えて見せると活き活きと語った王子。
が見つけた頃には、既に、もの言わぬ生首となって、王族一家と共に無残にも沈黙していた。
「……私は、何も……出来ず」
首都が陥落した後は早かった。
シンドバッド達に助け出された後の事は
の知る所ではないが、首都陥落後は他の主要都市も間を置かずして、あっけなく敵国の占領下に置かれた。
被害は首都ほどでは無かったものの、逆らう者は容赦無く斬り捨てられ、主要軍隊を欠いた中での軍事作戦は敵国の強大な力の前で大敗を喫した。
「敵国も休戦協定を結ぶと言っていたのですね?」
「……はい」
「にも関わらず、手の平を翻した…」
「……今思えば、これも作戦の内、だったのかも…しれません」
遠い目をしてつぶやく
に、シンドバッドは身を乗り出し、
の手を取った。
「…つらかっただろう。ここは安全だ。君が望むなら、いつまでもここに居てくれて構わない。今は、とにかく元気を取り戻すんだ。いいね?」
「………」
シンドバッドの心配そうな目にも、
は小さく、頷いただけだった。
「王よ、もう…」
土気色になった
の顔色を見て、ずっと側に控えていた侍女は躊躇いがちに声をあげた。
は国について話していた時も、王子の最期を話した時も、眉一つ動かさなかった。
悲しむことも無ければ、泣くことも無い。
けれど、顔色は酷く悪い。もとより、長い病床生活で日に当たらぬ肌は透けるように白かったが、今は輪をかけて病的に青白かった。
「どうか、今日はもうこれ以上は…」
「ああ、そうだな。長話をさせてすまなかった」
「……いいえ」
シンドバッドの謝罪にも、
は謝られる謂れなど全く無いと、ゆるりと首を振る。
「
、ゆっくり休め」
「……」
はやはり表情を変えず、けれど、部屋を出て行く二人に向かって、深々と頭を下げた。
「まだまだ、時間がかかりそうだな…」
白羊塔に向けて歩きながら、シンドバッドは心持ち沈んだ顔で溜息を漏らした。
ジャーファルも何か思案気な顔で頷く。
「ええ。
さんは身体の傷以上に、心の傷が深いようですから」
「そうだな…。それにしても、
の言っていた話が気になる」
「…アル・サーメンの仕業でしょうか」
「分からん。調べてみる必要があるだろう。どっちにしても、あの国はもはやシンドリアとの貿易はおろか、国交すら無い状態だからな。何か策を考えないと、な…」
「…はい」
それについては明日の衆議の後に、八人将と主立った官とで話し合いが持たれる事になった。
二人は新たな客に心を痛めながらも、各々の執務室へと戻っていった。
2013/05/24
次回アリババ出る。と思う。