散ったはずの











2人組での行動が基本の見廻りでも、沖田は屯所に一人で帰ってくることがままある。それは一様にこの隊長に最後まで撒かれない隊士がほとんどいないからだ。
今日も今日とて、見廻りのパートナーを撒くのはひどく簡単だった。
あの橋を渡ればあとは屯所への道まっしぐらと言うところで、残った最後の団子を咀嚼して串を放ったところだった。

突然辺りに充満した咽せ返るような殺気に、沖田は咄嗟に鯉口を切った。
これだけの殺気を放つ能力を有していながら、それを隠そうともせずに当たり構わず振り撒くところを見るに相手は真っ向から"殺る気"であるということだ。
こそこそ何かを仕掛けてくるよりも、こっちの方が幾分マシだと沖田は思う。躊躇うことなく、真正面から叩き伏せることが出来るから。

橋に差し掛かろうとしていた足を、橋から少し外して土手へ向ける。橋の下が覗き込める位置まで来るだけで、その正体はいとも簡単に姿を現した。
それと同時にくすくすと笑い声。

「は、は……あんた、沖田やろ。幕府の、狗…」

掠れた声が紡ぐ笑い声は、それ自体もぶつりぶつりと切れて、ひどく疲れた人間のものに聞こえる。
実際、橋下から出てきた小汚い少年は、所々千切れた、ボロボロで色あせた着流しというひどくくだびれた格好をしていた。草鞋を履かない足はあちこちが切れて血がにじんでいたが、それもすでにかさぶたになっているものがほとんど。
沖田はその腰の脇差に目をやった。すり切れてだいぶ細くなった帯にかろうじて挟まっているのはまごうことなき刀である。
気を緩めずに切っ先を少年に向ける。殺気は緩まるどころか強くなっているような気すらする。真っ先に浮かぶ言葉は"攘夷浪士"。こんなガキでも、アホな思想に傾倒することは珍しくない。だとするなら、一人ではないだろう。

「このご時世に廃刀令を知らないんですかィ」

周囲を警戒しながら問いかけてみたものの、少年は全くそれを介したふうはない。ただ煤けた顔に微笑を浮かべて、沖田を凝視するばかり。
その様子を見て、沖田は心の中で首を傾げた。
妙だ。
この違和感は、禍々しい殺気には似つかわしくない少年が出てきたからかと思っていたが、なにか、違う。そう、この殺気は自分に向けられていない。ただ何かに反応しただけであるかのように、その殺気は垂れ流しになっている。誰に向けられたわけでもない、この小さな体に収まりきらなかった殺気が知らず溢れ出した、それだけと言わんばかりで。

「は、はは、は……いい匂いやなぁ、あんた」
「は?」
「血と硝煙の混じった戦場(いくさば)の匂い……死のニオい……いい匂いやぁ……」

――、イカレてやがる

沖田に飛びかかってくるわけでもなければ恨み妬みを言うわけでもない。待てども攘夷浪士らしき輩も現れなければ、少年も刀も抜かず、それどころか全くと言って良いほどアクションを起こさない。
いい迷惑だ。
だが、この殺気を前に刀を納めるわけにもいかない。

シャラ

「一度強い奴と仕合うてみたいっち、思うとった……」

息を吸うのを忘れたのかというくらい全く動きの無かったが少年が、唐突にその短い刀を抜いた。動作は淀みがない。
いくらリーチが短くても。いくら刀が脇差でも。その構え、表情は、それをモノともしていない。
向けられた切っ先はピタリと沖田を向いている。

「あんた、強いんやろ?」

瞬間、少年が消えた。目の端に微かな土埃だけが残る。
しかし沖田の剣は、的確に相手の刃を受け止めていた。相手の動きは酷く速い。目でも一瞬追うのが遅れてしまうくらいに。だが、

「(軽い)」

少し力を込めて振り払ってやれば、いとも簡単に少年は弾かれた。勢いを殺すように宙空で1回転して、すとん、まるで忍びのような身軽さで地面に舞い降りた。

ニヤリ、沖田の口元に不適な笑みが乗る。面白そうだ。

再び切り結んでから、再度沖田は感心した。この小さい身体でよくやるものだ。
力では到底沖田には叶わない。
リーチも短い分、少年に不利な条件は多く整っている。
にもかかわらず、少年の動きはまるで自分の戦い方を知っている歴戦の剣士のそれだ。これがただのガキであるはずがない。
けれど。

「甘いでさァ!」

一瞬出来た隙、沖田は迷う事なく刀を突き出した。脇ががら空きだ。なかなか面白い死合いだったが、存外にあっけない。
思った所で、ふ、と殺気が消えた。

「(?!)」

沖田は皮一枚の所まで急所に迫っていた切っ先を、すんでのところで器用に反らした。瞬速で少年の懐に滑り込ませた刀はしかし、狙い通り、急所から微妙に外れて少年の身体を貫いた。刺された少年ですらそれには気がつかなかっただろう。
少年は傷口を見ることもせず、目を閉じ、眉間に皺を寄せた。

「は、は………やっぱ、痛いな―――。うち、死ぬんやなあ……やっと、死ぬんや……」

つ、刀を伝ってポタリポタリと血が滴る。こちら側に傾ぐ身体を受け止めて、今度は勢い良く刀を引き抜いた。
どぷ、音がしそうな程の血が溢れ出す。
いつもなら返り血を浴びないために、刀を抜いたらすぐに相手を突き飛ばすか自分が飛び退くかする所だが、沖田はそのまま身体を受け止めた。黒い制服に血が染み込む。

「総悟!」

昼間の河川敷での斬り合いに野次馬が通報し、パトカーが何台かかけつけていた。パトカーを降りてすぐ抜刀したのは副長の土方。けれど既に片がついたようだと見るに、すぐに刀を仕舞った。

「山崎ィ、こいつを至急屯所に運べ」
「え、沖田隊長?」
「ぐずぐずすんなァ!」
「はいィィ!」

力なく投げ出された四肢を山崎に投げるように渡す。既に意識のない小柄な身体は、ぐったりとして血の気がない。
沖田はそのまま携帯を取り出して真選組御用達の医者へ電話を入れた。
それが終わるのを待って、土方はいつもの鋭い視線を投げかける。

「おい、総悟。どういう事だ」
「話しは後でさァ」

敵を同情や哀れみで生かしておくような男ではないことは重々承知だ。何か理由があってのことだろう。
しかしその説明を求めても沖田は返り見もせずにパトカーへと乗った。制服は珍しく血に濡れていた。










ずくりと痛んだ傷に、は咄嗟に身体を反転させて上半身を起こし、大きく息を吸い込んだ。干からびた喉から乾いた咳が漏れる。ぼんやりとした視界に己の小さな手が映る。今まで寝ていたであろう布団、その下にはまだ青い畳の目。



――生きて、いる



「なん、で……?」

――確実に今度は死ぬと思ったのに

「あ、まだ起きちゃだめですってば!傷口開いちゃいますよ!」

声を聴きつけてか、す、と障子が開く音がした。
次いで焦った声が上から降ってくる。
オキタ、ではない。では誰だ。が振り仰いだ先には見たことのない顔がいた。

「ほら、横になって」
「…んで」
「え?」
「なんで、うち、こんなとこに」
「ああ、沖田隊長があなたをここに運ばせて、すぐに医者に――」
「なんで生きてんや、うち!うちは、今度こそっ……、あぐ、ッ……はっ…」

腹を押さえて、再び布団の上に丸くなる。傷口に鋭い痛み。
熱い。
傷口から熱が広がる。汗が体中から溢れるのが分かった。
けれど、それが分かるということは。
痛みがあるということは。

間違いなく自分は今、生きている。

「くそ、くそっ……、なんで!」

思い切り腹を拳で叩きつける。何度も、何度も。
じわり、包帯に血がにじんで、自分の拳を作った手にも血がついた。

「ちょ、何やってんですかあんた!」

山崎が慌てて脇から手を差し入れて止めに入る。身動きが取れなくなって、それでもからは乾いた笑みがこぼれた。

「今度、こそ…今度こそ、殺してくれる奴、見つけたっち思ったんやけどなぁ……」
「殺されにくるような奴を、誰が好き好んで殺すかってんだァ」

開いていた障子から顔を出したのは、沖田だった。

「お、きた……。てめ、最後に手ぇ抜きやがったな、同情でもしたつもりか!」
「うっせェなァ、自殺野郎の片棒かつぐなんか真っ平ごめんでィ。死ぬなら一人で死にやがれ」
「こーらこら総悟!火に油そそぐようなこと言っちゃだめでしょ!ほら、君も、ちょっと落ち着いて!とりあえず横になるんだ、な?」
「なんだよ、ゴリラ…」
「え、今ゴリラって行った?初対面でそれはないよね!?」

反論をされながらも、は体から力を抜いた。ずるりと山崎の手から体が崩れおち、布団の上に沈む。

「あーあぁ……どうすっかなあ…」

何もする気になれなかった。何も考えられない。
胸に浮かぶのは、ただ、大きな絶望感と喪失感。

これからどこに行けばいいというのだろう。
今までだってどこか目的があったわけではないけれど。ようやく見つけたと思った死に場所は、実は自分の虚しい願望が作り出した、儚い幻想だった。

はギュッと眼を瞑った。




――このまま2度と目覚めなければいいのに











2010/06/03

なにこの中途半端さ。