「きれいな銀色ですね」

銀時と彼女が話したのは、それが始めてだったような気がする。
いや、話というには、それはあまりに一方的すぎたかもしれない。
彼女はただ、ぼうっと虚空を見つめては、時折思い出したように団子とお茶を交互に租借した。







銀色








赤い敷物をかぶせた椅子に、大きな赤い傘の作った影が映る。いかにも団子屋と言った風情の店は、陽気に釣られて寄る客でそれなりに繁盛していた。
いい天気ですね、これで家の中にいたら勿体ないよ、往来を行く人々の挨拶は似たり寄ったりで、青い空と気持ちのいい風に釣られて団子屋に腰掛ける自分も、あまり世間の人間と変わらない。

銀時が彼女に声をかけられたのは、その団子屋でのことだった。
赤い椅子に不釣合いな、地味な色の、汚れた着物が座っている。一つ隣の椅子の端っこに、彼女はいた。まだ銀時の半分ほどしか生きていないような、少女の領域を出ていない小さな背。ぼんやりとした少女の顔は、土気色に近くて、傘の赤とのコントラストがより際立つ。みすぼらしい、その言葉が些か似合いすぎるような気がした。

隣の椅子の、やはり端っこに座っている銀時との間に、4人座れるだけの間が空いているにも関わらず、彼女の言った儚げな言葉は銀時の耳に届いた。
銀時が声に吊られて振り向いてみれば、一瞬目が合ったけれど、すぐにそれはまた虚空へと戻る。まるで「いい天気だわ」と独り言でも呟くかのように言った彼女は、銀時との会話を望んでいたわけではないと知る。
疑問符を浮かべて彼女を見ることしばし、いつもの自分らしい応答もしないまま、視線を外して団子を一つ頬張る。絶妙な甘みと辛みの織り成す味が、口の中に広がった。

「なあおばちゃん。あの子知ってる?」

客足が少し収まって、茶をつぎ足しに来た店のおばちゃんに尋ねる。
先ほどの位置には、まだ少女が座っている。
銀時が顎でしゃくった方を見たおばちゃんは、腰を屈めて口に手を添え、小声で言った。
それが腫れ物を見るような仕草みたいだとか、おばちゃんの顔が諌められているように見えるのは、多分気のせいじゃない。

「いつも陽気のいい日になるとふらっと来るんだよ。いやね、あの身なりじゃあ孤児かその辺だろうって話なんだけどねえ、いっつも物欲しそうにこっちばかり見てるんで、いつも団子と茶だけは出してやるんだよ」

そそくさと立ち去ったおばちゃんの話を聞く限り、おばちゃんも彼女が何者であるかは知らないのだろう。ただ、情けをかける、そしてそれを享受するために、彼女はふらりとやってくる。
おそらく、先ほどの言葉にだって意味はない。
何をして暮らしているのかは知らないが、あの身なりを見るに、その日暮らしをしているのだろうと邪推できる。
世知辛い世の中だねえ、銀時は呟きながら財布を取り出して、少ない小銭の中から数枚を椅子の上に放った。

「ごっそーさん」

立ち上がって、もう一度ちらりと少女を振り返る。
さっきと変わったのは、団子が一つ減ったということだけだろう。






次に彼女を見かけたのは、それから三週間ばかし経った、天気のいい日だった。
いつもの団子屋で、また彼女は虚空を見つめる。
そろそろ山の紅葉も始まろうかという長袖の似合う時期に、以前と変わらぬ薄い着物一枚で、裾の短いそれから除く足は、足袋すら履いていない。鼻緒と荒い目の草鞋(わらじ)で擦った足は、少し赤い。
串を持つ手に見える二・三の痣(あざ)に、はっとする。以前は気が付かなかっただけなのか、そのあざは決して最近ついたものではないようで。紫色に変色してしまったそれは、細いわっかをいくつか腕に浮かばせている。

「きれいな銀色ですね」

今日始めてみた、そんな目で、また彼女は銀時を見た。そして、一言。
以前と一字一句違わぬ言葉に、銀時はなんとも言えない気持ちになった。

「お世辞なんかゆっても団子おごってやんねえよ」

もう一つ団子を頬張りながら言うと、彼女は不思議なものをみるかのように瞬いて、それから何かを思案するように目線を落とした。

「そんな色は、始めてみました」
「おいおい話噛みあってないし。っつーかこの前もおんなじこと言ってたでしょ、何ソレ新手の逆ナンですかコノヤロー」
「おもしろいひと」
「いやあんたがね」

銀時の言葉に、彼女はほんの少し、本当に少しだけ、口の端をあげたような気がした。気がしただけかもしれないけれど。
その笑みを消して、最後の団子もすでに無くなって久しい串を、白い皿の上に置く。すっと立ち上がると、店の奥に向かって深く礼をした少女は、振り返らずに歩き出した。
皿と湯のみを片付けに来たおばちゃんは、苦虫を噛み潰したような顔で少女の背中を見つめた。

「かわいそうにねえ、あたしゃこんな事しかできやしないよ。ねえ銀さん、あの子はどこで何やってんだろうねえ」
「知らねーよ、俺が知るわけないでしょうが」
「なんとかならないかねえ、あの子」
「なんだそりゃ、俺になんとかしろって言いてーのかコンチクショウ。だったらお巡りさんにでも相談してみたら」
「そうだねえ、今度そうしてみようかねえ」
「……おう、そうしろ」







冬に入ればそうそう綺麗な青空が拝めないのは仕方がない。けれど、あの団子屋の前を通るたび、灰色の雲を見るたびに、罪悪感のようなもやもやとした気持ちが溝尾の奥に溜まっていくのを、銀時は知って知らぬふりをした。
その度、今度見たときにはまた他愛ない話でもして、夕飯にでも誘ってやろうと、そう思っていた銀時が、次に彼女を見たのは雪がちらつくクリスマス近くになってからだった。
3、4日続いた雪が久しぶりに止んで、力ない、けれど確かに暖かい陽の光が差したうららかな昼下がり。
今日こそは、なんて、ずっと待っていた何かを見つけるつもりで、団子屋に向かう。赤い傘の下にその姿が見えないのに微かに肩を落として、銀時は変わらず椅子に腰掛けた。
お前は変わらないねえ、いつものように運ばれてきた団子に心の中で話しかけて、一つ目を食べようと口を開けたところで、その動きが止まった。

すとん

ひどく軽い音がして、いつもの位置に彼女が座った。
この寒い中、未だ秋と変わらぬ薄い着物一枚の彼女に、銀時は目の前の甘味の存在を一瞬忘れた。手や足に出来た赤切れは無数に広がり、それにかぶさるように、数を増やしたあざが目立つ。紫というよりはすでに黒く変色しかかっているそれを見れば、もうそれ以上躊躇う理由もない。それをほっておけるほど、器用に出来ていない。

「おい、あんた」

まだ団子が全て残っている串を置いて、銀時は立ち上がった。
近づいても銀時の方をちらりとも見ず、薄い雲がちらほらと見える虚空を見つめている。何を考えているのだろう、その土気色の顔は、今棺桶から戻ってきましたと言われても納得できそうなほどに生気のかけらもない。
肩を掴んで、初めてその身体が小刻みに震えているのを知った。寒さゆえか、それでも、それすら彼女は気が付いていないに違いない。
銀時が自分に巻いていた襟巻きを彼女にかけると、少女は緩慢な動作で銀時を見上げ、そして初めて見たかのように、その髪に目をやった。

「きれいな銀色ですね」

よほどこの髪の色が気に入ったのか、けれど3回目になるその一言に銀時は唖然とした。

「おんなじこと何回も言ってんじゃねーよ。若年性アルツハイマーですかー?」
「…おもしろい人」
「あのねえ…」

銀時の盛大な溜息に、彼女は目を丸くした。と言っても、それと分かるほど顔に変化はない。ただ、きょとんとしたようなあどけなさが、一瞬見えたような気がしただけ。

「名前は」
「…」
「まさかそれも忘れちゃったの?」
「…です」
「帰る家は」
「ありますよ、もちろん」

他の緩慢な動きに比べ、即答で返された答えに銀時は更に目を見開いた。
じゃあなんなんだ、その身なりは。その痣は。
孤児だから痣があって当たり前というわけではない、けれどその身なりは少なくとも江戸に家を持つもののそれじゃない。
いや、待て。、って……

「お前の家って、まさか家の」
「今日はもう、帰ろうかしら」

急に立ち上がったは、覚束ない足取りでふらりと歩き出した。
その話題が嫌だという素振りは、なかった。けれど、話の鼻を折って急に立ち上がったからには、やはり触れられたくない話題だったのだろう。団子も茶も手をつけず、は足袋の履かない真っ赤な足で、その荒い草鞋を引きずっていた。

「待てよ」

聞こえていないはずはないのに、は一度も振り返らずに、人ごみに消えた。
端で成り行きを見ていたおばちゃんはそれを見送ると銀時のもとに来て、躊躇いつつも口を開いた。

「この間さ、銀さんがいないときに一度来たんだよ、あの子」

言葉に振り返ると、今にも泣き出しそうな顔のおばちゃんが立っていた。

「うちで働いてみないかいって言ったんだよ、帰る家がないんだろう、って。家はあるって言うから、じゃあその痣は家人にやられたのかいって言ったら、あの子なんて言ったと思う?」

一拍置いたおばさんは、ついにこぼれてしまった涙をエプロンの端で拭きながら、

「痣なんてどこにあるんですか、ってさ。あたしゃああの子が不憫で仕方がないよ」

言った。
隠しているのだろう、その事実を知られたくないのだろう、想像しか出来ないことに、そして何よりなぜ先ほど無理矢理にでも手を引いて止めなかったのかということに、後悔の念に駆られた。
人ごみに消えた背中はもう見えない。
次はいつ会えるだろうかと、青空に問いかけた。







いつも青空のもとで見ていた土気色の顔が、雨の中、佇んでいた。赤い傘の下ではなくて、肌寒い橋の上。川面を見つめるその横顔に、銀時は咄嗟に走っていた。

「いまどき橋から身投げなんて、流行んねーよ」

握った手首は酷く細くて、骨に筋張った皮だけが付いているようで背筋が寒くなる。すでにずぶ濡れになってしまっている彼女に、それでも傘を傾けて雨を遮る。
やはりとろとろと振り向いたはその首に、ボロボロになって所々黒い染みのできた、銀時の襟巻きを巻いていた。銀時を見上げると、ぱちりと一度瞬きをして、肩の力を抜いた。

「綺麗な髪のお侍さん。どうしたんですか?」
「あのねえ、どうしたじゃねーよ。お前こそ何やってんの」
「……川を、見ていました。この川はいつもは綺麗な水色しているのに、今日は茶色くなってしまっていて、それが残念だな、って」
「へえ、それで?」
「………それだけ、です」

はあー、大きくついた息には目線を川へ戻した。

「もう逃げるのは止そうぜ」

川面を見つめた顔は、いつもと変わらなかった。
それでも、言葉を聞いて俯かせた顔を伝う雫が、決して雨のせいだけではなさそうだと思った。

「逃げてなんか……逃げてなんか、いません」

つぶやくように言った言葉は、初めて聞く弱弱しい声音だった。
小さく頭を振って、違います、とぼそぼそと呟く。

「逃げてなんか、ない。私はちゃんと受け止めて……どんなに怖い顔をしていても、怒鳴っていても、手をあげても、その下に悲しい顔が隠れているのを知っていますから……だから、いつも、私はちゃんと、受け止めています…」
「………そういうことかい、あんたのその痣は」
「逃げてなんか…」

ふらり、傾いだ身体は放っておけば本当に川面に水しぶきをあげそうだった。
寸でのところで受け止めて、怒鳴ってやろうと揺り起こしてみると、力の無い頭ががくんと揺れただけだった。

「おい!しっかり「私、は…ただ、あなたの銀色が好きだったんです」

突然言われたことに一瞬戸惑いながらも、暖かさの欠片も残っていない、棒のような身体を抱きかかえた。

「また、あなたに会えてよかった…」
「…めでてえ奴だな、おめぇはよ」

言われた意味を図りかねて時を止めた顔が、やがてふわりと笑う。
そうかもしれません、口からは穏やかな声がこぼれた。






















2008/10/25