!」

改札を出ていくらも歩かない内に響いた声に、聴き覚えは無かった。けれど、それは確かに自分を示す記号であったので、ほぼ反射的に立ち止まり、振り向いた。
立っていたのは、中東系の顔立ちをした、少年だった。



切り離された日常





驚きに見開かれた真っ直ぐな目は、ただを見つめた。
中東系の人間に知り合いはいなかったはずだが、しかし、この反応は明らかに向こうはのことを知っている。
そのことに戸惑いを覚え、無視するでもなく、かといって何かアクションを起こすわけでもなく、少年が近づいてくるのを待った。

少年とは言っても、自分と同い年か、または少し下くらいに見える子は、それでもより背が高い彼を見上げるかたちになる。
少年はの前まで来ると、何を言うでもなく、いっとき呆然と立ち尽くしていた。
それは傍目に見ても、何を言えばいいのか悩んでいるための沈黙であった。表情に出さないタチなのか、非常に分かりにくくはあったけれども。

。俺のことが、分かるか」

やっと出た第一声が、これだった。
ああ、やはり彼は自分を知っているのか。
戸惑ったような少年の声は、を少なからず、気まずい思いにさせる。相手は自分を知っているというのに、当の自分は相手を知らない。
は、知り合い以外の世間一般が知っているような、知名度が高い人間ではない自覚は、ある。そして、彼がこう言うからには、ある程度の面識はあったのだろうことは想像がつく、しかし。

「ごめんなさい、始めて見る顔ね」
「………。…そうか」

言ってうつむいてしまった顔に、くるくるの髪の毛が無造作にかかる。端整な顔立ちが、心なしか沈んでいるように見えるのは、被害妄想だろうか。
けれど彼は、おそらく。

「2年前かそれより少し前に、もしかして私に会ったことがあるんでしょ、きみ?」

疑問のような、かといって確認のような、変な質問だとは分かっている。
それは確かに疑問だけれど、でも、確信があった。

「そうだ」
「…ごめんなさい、って言うべきなのかな。覚えてないの、その6年前から2年前までの、4年間のことは、ほとんど」
「―――」
「これのせいで、さ」

前髪をかき上げると、自分が負ったであろう傷がある。あろう、と推測でしか言えないのは、にその傷を負ったときの記憶がないからだ。
普段、傷は前髪に隠れていてあまり気にならないし、自分から他人に見せるようなこともない。けれど、記憶がないことを説明するのには、一番てっとり早い。

「…身体の方は、もういいのか」
「うん、おかげさまで」
「今は、どうしている」
「私を拾って看病してくれた老夫婦と、静かに暮らしてるよ」
「…そうか」
「……少し、お話、しましょうか」

言って、言葉少なに、連れ立って歩き出した。










ソレスタルビーイング、ガンダム、プトレマイオス。戦争根絶。ガンダムマイスターだった刹那。4人のマイスターたち。
自分の知らない自分を、他人の口から聴くのは不思議なものだ。
公園のベンチで、隣に座る刹那の言葉に耳を傾けながら、そんなことを考えた。簡潔に説明する刹那の話は、ひどく断片的に、ではあるけれども、自分の軌跡を辿る手がかりだった。
は、プトレマイオスにいた専属の整備師だった。クルーの個々の名前が出てくることはなかったが、皆仲がよかったこと。開戦したこと、そして終焉について。
平坦な声からは想像も出来ないような、壮絶なエピソードがあったことは容易に想像がつく。
死んだと思っていたを見つけたときには、酷く驚いたと刹那が言ったことに、にいたずら心が芽生えた。「連れ戻したいって、思った?」言った言葉に、「ああ」と素直に返されては、もはや笑うしかなかった。
素直な子だ。真っ直ぐで、真っ直ぐすぎて、思わず目を背けてしまいたくなるほどに。

「いま、何してるの、きみ?」

話がひと段落して、降りた沈黙の、後。一息ついてから聞いた質問に、刹那はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「世界を旅している。この目で、確かめたいんだ」
「“今のこの世界を”?」
「そうだ」
「いいなー、刹那は」
「なぜだ」
「そうやってさ、自分のしたいこととか、しなきゃいけないことに、なんの迷いもなく一直線!って感じじゃない?それ、なかなか出来ないもんだよ」
「そうか」

迷いがないわけではない、刹那の頭にその言葉が浮かんだけれど、それよりも。

「…なによ」

刹那は表情が少ない分、その多くを目で語る。
その目が心なしか、笑みのかたちを浮かべたことに、は首を傾げた。

「以前、同じことを言われた」
「私に?」
「ああ。俺が、羨ましいと」
「へえー、さすがは私。本質は変わんないってことかい。で?なんて答えたのよ、きみは」
「大したことは言わなかった。ただ、そうか、とだけ」
「さすがは刹那、ってところだね」

笑って言うと、今度は更に刹那も少し、ほんの少し、笑った。

「同じことを、返された。その時も」
「……。うわ、なんだろうこの敗北感」
「お前は変わってない」
「いいんだか悪いんだか」
「いいんだ」

はっきりと、刹那は言い切った。それで、いいのだと。

「色んなものが変わった。これからも変わる。世界も、俺も。お前は、変わらないでくれ」

変なことを言う子だ、と思った。記憶をなくしてそんな人たちのことを全く知らない、と言っているある意味別人のようになってしまった自分に向かって、変わっていない、か。
でも、悪くない。

「オーケー。刹那は、刹那の思うように変わってみなよ。気が向いたら、手伝ってあげるよ」
「頼む」











不思議な事件から、数ヶ月がたった。
連絡先だ、ともらったアドレスの書かれた紙は、まだ、引き出しの中に入ったまま。
あれから刹那には一度も会っていない。

けれどまた再び会うときが、いづれやってくる。
そんな気が、する。



















2009/03/28

あれです、刹那が書きたかったんです。衝動書き。刹那好き。
ヒロインとの間にあるのは、恋愛感情じゃなくて、純然たる仲間としてのもの。