「ちょっ、え…!」

ぱさり、裂けたのはお気に入りの服。

「こ……れはないんでないの、神田サン」

ひらり、無情なまでに舞い落ちたのは、長かったはずのの黒髪だった。
修練場に、の引きつった声が響いた。











不意打ち











「これはないよね、神田ー!」
「うるせぇ、避けきれねぇお前がわりぃんだろーが!」
「なにそれ!そこはほら、実戦さながらってゆっても実戦じゃないんだからさぁ…!」
「知るか、このっ…」

間一髪で突きをかわしそのまま後方へ一回転し、神田から十分な間合いを取った。そうでもしなければまだ攻撃は続きそうだったのだ。不揃いな髪の毛を見てもなお手を止めないところが、神田らしいというかなんというか。

「あーあぁ……折角伸ばしたのにぃ……」

武器を持ったまま腰に手をあて、斬られた髪の毛をつまんで眺める。ものの見事に、もう、ばっさりとやってくれた。右肩にかかる髪は背中の中頃まで、対して左肩に髪はかからない。
おまけにお気に入りのチャイナ風の訓練着までスッパリと裂けている。

「やめやめ、もう今日はこれで仕舞いね…」
「そうかよ」

それだけ言うと、神田は乱暴に汗をぬぐって修練場を出て行った。

と神田は兄弟弟子だ。同時期に弟子になった二人に上下関係は存在しない。いつも競うように修行をしてきたが、剣術においてはは神田から1本も取れたことがない。それでも最近は互角とまではいかずとも、相手を“してもらえる”程度にはも腕をあげて、ここらで真剣勝負をしてみようじゃないかと持ちかけたのはの方だった。
いい具合に打ち合っていたのだが、神田の一撃が素晴らしかったのかのかわしが甘かったのか、犠牲になったのはの髪とお気に入りの服。
動いて揺れている髪を剣で薙いだくらいで普通は簡単に切れるものではないのだが、生憎神田の斬撃は“普通”ではない。
は不揃いになった髪を自室のバスルームにある鏡に映した。

「あーあ……なんかここまでくるといっそ潔いっていうか……。おーし、こうなりゃ、」

向かった先は、昔からの同性の馴染みの部屋。
ノックに次いで返ってきたのは綺麗なソプラノ。

「はーい。あ、………ってどうしたのその髪?!」

顔を覗かせるなり、リナリーは驚きに目を見開いた。

「ちょっとヘマやっちゃったんだよねー。悪いけど綺麗に揃えてくれる?」

どうせだから超ショートにする、そう言ったの言葉通り、肩にすら届かない超ショートに髪を揃えた。

「やっぱり切りすぎじゃない、?」
「いーのいーの。昔はこの長さだったでしょ」
「そうだけど」
「昔に戻ったと思えばいーんだよ」
「でも折角伸ばしたのにね。カンダったら…!」

そう言って自分のことのように怒ってくれる可愛らしい同僚は、綺麗な長い黒髪をしている。小さい頃彼女に憧れて髪を伸ばそうと思ったのはちょっとした秘密だ。
けれどもう"憧れる"歳でもなくなった。未練があるわけではないと言いながらも、それでも伸ばしたままにしていたのはやはりどこか名残惜しいと思っていたからで。







「わ、どーしたの!あなた髪そんなに短くして…?!」

手にお玉を持ったまま硬直したのは料理長のジェリーだ。サングラスで見えはしないが、目をまん丸にしていることだろう。
ジェリーの声に振り向いた厨房の面々も「何かあったのかー?」と声をかけてくる。

「でも似合ってるわよん」

最後にはそう締めくくった料理長には満面の笑顔を向けた。

「もうジェリー大好き!」










「あれ、もしかしてさ?」

少し休憩でもしようと談話室に足を向けると、先に居座っていた派手な赤髪が振り向いて、開口一番に驚いた声を上げた。

「どう、この髪?」
「似合ってるさ!けどまたえらく大胆にいったもんだなー」
「ええそりゃもう神田サマのお陰で!」
「え、なに、ユウにやられたんさ?」
「と言っても私も甘かったんだけどサー」
「鍛錬中に?」
「そう、鍛錬中に」
「あちゃーそりゃあユウが悪いさ」
「だよねー?ねえ神田サン?」
「あ?知るかよ」

さりげに通りかかった神田にイヤミをこぼしてみる。返ってきたのはいつも通りの人一人殺せそうな視線と、素っ気ない言葉のみ。口をへの字にする頃には既に神田の姿はない。

「神田にイヤミが通じるとは思ってないけどさァ…」

ははは、と乾いた笑い声を漏らすと、苦労するさね、とラビに肩を叩かれた。

「ラビに言われるのも、なんか、ビミョ…」









「あれ、おかえり」

最近見ていない白髪頭が見えて、は横から顔を出した。

!ただいま。…どうしたんですか?」

突然顔を出したことに、というよりは、その髪に対しての言葉だとはすぐに理解して、口の端を上げて、へへへ、と笑う。

「ばっさりといってみましたー」
「見ない内に随分雰囲気が変わりましたね」
「って言っても、さっき切ったんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん」
「一瞬誰かと思っちゃいました」
「やっぱ変かなあ」
「そんなことないです!かわいいですよ」
「アレンはいい子だねー」

よしよしと自分よりも高い所にある頭を撫でてやると、もうやめてくださいよ、と照れくさそうにアレンが言った。神田もこれくらいの可愛げがあればいいのに、とふと頭を過ぎった自分の考えに失笑が漏れる。
それはそれで怖い。






「はー、疲れたー」

珍しく任務も何もない日が終わり、逆に身体を動かしたくなってはこの日3度目となる修練場でごろんと仰向けになった。少し離れた所では、同じように息をあげた神田が膝を立てて座っている。
剣は勝手が違いすぎて思うように扱えない。が、自分の獲物なら思うようにいくのに、と今日も互角で終わった鍛錬を振り返る。

「もうちょっとしたら、また真剣勝負してよね」
「懲りねぇ野郎だな」
「槍なら負けないもんね」
「言ってろ」

立ち上がった神田を見て、も上半身を起こした。

「帰るの?」
「ああ」
「…」
「んだよ」

言いかけた所で止めたを、不信がって神田が振り向く。
尖らせた口で、少し口の端を上げるという器用な仏頂面を作ったが神田を見上げていた。

「ちなみにさぁ。これ、どう?」

短い髪の先をつまむ。

「いいんじゃねぇのか」
「は?」

まさか肯定の言葉が返ってくるとは思わず、素っ頓狂な声で聞き返す。それを待たずに神田はさっさと修練場を後にした。

「………不意打ちー……ハァ、がんばろ」

嬉しい半面、この負けたような気分はなんだろう。
だって、これでは、怒れないじゃないか。

――ま、いっか

起き上がって、昼間使っていた刀を手に取った。急ぐ必要はない。でも、縮まない距離を縮める努力と労力は惜しんではいけない。
誰もいなくなった修練場で、は一人、素振りを始めた。











2010/07/04