夕闇の














これだけ頻繁に戦場に立っているのだ。性格が荒んでしまうのも、あながち仕方のないことなのかもしれない。戦場の兵士は、残酷で凄惨な場面を目の当たりにすることは多分にある。目の前で人間を殺され、もっと酷い現場に行き合うのは戦場では珍しくともなんともない。
時に仲間すら失いながら、それでも自分を叱咤して、血の海の中で戦い続けなければならない。

――その中で、心が疲れきってしまったのかもしれない。

アレンは何とはなしに、そんなふうに思った。
けれど、やはり、納得がいかない。

、あの、おはようございます」

一緒に任務に出たことこそなかったが、同じエクソシストの団服を着ていることもあったし、修練場で見かけることもあったので、仲間であることはずっと前から知っている。
機会もなかったが、珍しく食事時間が重なったようでアレンは食堂の入口で見かけたに、いつもの人懐こい笑みを浮かべて挨拶をした。

返ってきたのは、沈黙。

目線すらちらりとも寄越さずにまるでアレンを空気であるかのように振舞う。
聞こえなかったのかと再度同じ事を繰り返しても、から返って来たのはやはり沈黙だった。
2度目にはちらりと目がこちらを向いた気がしたが、それも一瞬で、そのままアレンの横をすっと通り過ぎていった。

こういうことは以前にも何度かあった。
その時は単に聞こえなかったのかと思ったが、今の反応を見るに、あえて無視しているようである。






彼女はとにかく、無表情だ。そして、しゃべらない。
しゃべれないわけではないし耳が聞こえないわけでもないとコムイが言うのだから、故意に口を開かないだけなのだろう。
コムイやリナリーでもの声を聞くのはごく稀なことで、彼女の声を聞いたことのある人間の方が、実は少なかった。
食事はどうやって頼むのかと思ったが、様子を見てみるにが来るとジェリーが勝手に料理を作り、出したものを食べているようだ。

「ジェリーさんはの声を聞いたことありますか?」

気になって自分の注文の時に聞いてみると、ないわねえ、と残念そうな声が返ってきた。
最初は何も注文せずに立っているだけで困り果てたのだが、仕方なしに適当に料理を出すと毎回文句も言わずに食べるので、それが定着したらしい。

、ここいいですか?」

先に座っていたを食堂の隅に見つけて、アレンは問いかけた。それにもは無反応。
溜息をつきたくなるのを我慢して、前の席に腰掛ける。

「おじゃまします」

一応口に出してみるものの、視線すら動かない。の場合、性格にも難がありそうだ。神田のように気に食わないことは気に食わない、と声を大にして反応を返してくれれば分かりやすいのだが、の場合はまったくアクションを起こさないので返って対応に困ってしまう。
アレンの大量の食事にも眉一つ動かさず、は食事が終わると静かに席を立った。















暗い廊下の一番奥まった窓際に、儚げに佇む影を見つけた。近づいて行けば、それはぺたんと床に座り込んで窓の外を見上げるだった。
何ヶ月か前に一緒に――とは言い難いかもしれないが――食事をして以来、を見るのは久しぶりだ。
小さなガラス窓の外には暗闇しか広がっていない。それでもそれに何かの答えを探すかのように、は窓の外を見つめている。
その瞳には空虚以外何もなくて、アレンが傍に寄って行っても気付いたふうはない。

「…泣いて、るんですか?」

の目からは大粒の涙がぽろぽろと落ちている。けれどそれを気にも留めたふうもなく、人形のように座っている。
涙とは無関係であるかのように無表情のに、己が泣いていることに気が付いているかどうかさえ疑問だった。

驚きを含めた声でアレンが問いかけても、は反応を示さない。肩に手を置くと、初めて気がついたように、それでも反射的にアレンの手を払った。
第三者の存在に驚いて目が少し見開かれる。そしてそれから申し訳なさそうに、アレンに向かって、小さく目礼した。
無表情で挨拶も返してくれないあのが、微かとはいえ目礼したことにアレンは目を見張った。しかしそれをなるべく隠してアレンは隣に腰をおろした。


昨日の夜から何やら教団は騒がしかった。任務から帰って来たチームがいるというのを耳にし、死傷者が多数出たということも聞いた。
任務に出ていたが今こうして戻ってきているのだから、そのチームにいたエクソシストはなのだろう。
見れば体中あちこちに血の滲んだ包帯を巻いている。


何を想っているのだろう。


何度も何度も戦場に立ち、戦い、様々なものを見てきたのだろう。自分も重症を負いながら、それでも救えなかったたくさんの命。
幾度もそれを繰り返して、つらい思いをして、その傷がまだぱっくりと口を開けているのに、また戦場に立つ。
そうして彼女はまた、心を閉ざしていくのだろうか。


しばらく無言で二人は座っていた。
慰めの言葉はアレンの頭にいくらでも浮かんで来たが、今の状況には不釣合いだし、それをに言っても無意味であるような気がした。

ただ、一言。

「泣いても、いいと思いますよ」

言葉が空気に溶ける。
辺りを侵食するかのように広がって、それから初めて、のぞき込んだの顔が悲しみで歪んだ。

「エイミー…」

苦しい、痛い、つらい、悔しい、哀しい、つぶやかれたたった一つの名前にあらゆるものが詰め込まれていた。

そして、初めて知った。
高く澄んだ、けれどまだ少し子どものような綺麗な声。

アレンが聞いた、初めてのの声だった。











2010/06/13